まずはメールマガジンから引用。
… 精神的な恐れや不安は人を救わない。人を成長させもしない。それは現状から目を覚まさせるためのショック療法になることはあるかもしれないが、長く続く恐れや不安の状態は、単純に生命としての人間を消耗させる。
エネルギーの視点から言えば、恐れや不安はエネルギーを消耗させ、オーラ(エネルギー)フィールドを萎縮させる。エネルギーを消耗し続ければ、オーラフィールドは縮んだ状態で固まり、硬直し、人は必要な行動をとることも、変化を起こすこともできなくなる。
オーラフィールドが小さく縮まると、さらにささいなことでも気になり、不安をかき立てられるようになるので、あとは負のスパイラルである。
行動したり、必要な変化を起こすには、エネルギーが必要なのだ。成長するためにも。それは単純に人間が「生命」であるということを考えてもわかる。
ならば必要なのは恐れや不安ではなく、希望だ。そして希望というのは与えてもらうものではなく、自分で見つけるものである。
混乱した状況や大変さの中でも、光のある方向を見分ける力。それが第6チャクラの一番大切な機能であり、基本的にすべての人が備えている能力でもある。
生きることがもっともつらいのは、状況の苦しさ自体よりも、そのつらさや苦しさに意味を見いだせない時だ。自分がなぜ生きるのかということを思い出せれば、困難を乗り越える強さを見つけることはできる。そしてそれを思い出すのも、私たちの第6チャクラの機能だ。
第6チャクラはすべての「見る」機能と「光」に関係するチャクラで、エネルギーシステムの解剖生理学的にも、とても興味深いチャクラでもある。
(引用ここまで)
第6チャクラ
第6チャクラは額の真ん中か、人によってはそれよりやや低い、眉毛と眉毛の間に近いところに位置し、古くから「第三の目」と呼ばれてきた。仏像の額の真ん中にある白毫は「白い毛」と仏教用語集などには書いてあるが、位置といい丸い形といい、どう見ても第6チャクラを表している(第6チャクラそのものはもう少し直径が大きいが)。
このチャクラを指さすように人さし指を近づけたり、尖ったものを向けたりすると、ほとんどの人が、むずむずするような感じや妙な不快感を覚える。普段はあまり気づかないが、実は多くの人でとても敏感なチャクラだ。
肉体レベルでは目、内分泌腺では松果体に結びついている。組織レベルでは皮膚に対応する。これからもわかる通り、あらゆるレベルで「光」と関係の深いチャクラだ。
色は紫。カリフォルニア大学ロサンジェルス校のヴァレリー・ハント博士の実験では、ヒーラーや透視能力者が、対象者の体に「紫色」を見た場合、
900 Hz帯域のエネルギーに対応していた。また同じ実験で「紫色」と識別されたものをスペクトラム分析すると、さらに100-200Hzの青と740-900 Hzの赤の波形も含まれていることがわかった。
紫色の第6チャクラには、赤=第1チャクラと青=第5チャクラの性質が合わさって含まれる。これはこのチャクラの働きを理解するのにとても重要な点だ。
第6チャクラの色を藍色(インディゴ)とする本もあるが、紫とするか藍色とするかで、このチャクラの機能に対する理解が変わってくる。
エネルギーそのものであるチャクラでは、色(つまり周波数帯域)の変位や転位が比較的容易に起きるので、「第6チャクラは藍色」と思い込むことで、このチャクラを藍色に維持することは可能だ。問題はそれが適切で健全なことなのかどうかということ。
ニューエイジやスピ系にはまっている人の中には「周波数は高ければ高いほどいい」と思っている人がいるが、それは迷信だ。人間としてバランスがとれるためには、大地/物質世界へのグラウンディング(赤)と高い世界とのつながり(青)の両方が欠かせない。肉体と大地につながることができないまま高い精神性に手を伸ばしても、そんなコンタクトは不安定で精度を欠き、逃避的な性質を帯びる。
第6チャクラの本来の色が赤と青の両方を含んだ「紫」というのは、このチャクラの機能が物質レベルでの生命力と高い精神性の重なるところにあることを示している。だからこのチャクラは「魂の座」とも呼ばれる。第4チャクラ、ハートチャクラが目に見えない世界、アストラル界への扉であるのと同じように、第6チャクラは肉体に宿る魂の直接的な扉だ。
第6チャクラの機能 あらゆる意味で「見る」こと
第6チャクラは、あらゆる「見る」機能と「光を感じる」機能に関係する。「見る」とは、文字通り肉体の目で見ることから、形のないものを象徴的に「見る」ことまでを含む。
肉体レベルの「視力」にはたくさんの要素が関係していて、単純に第6チャクラの機能がよいか悪いかだけで決まるわけではない。例えば乱視や色覚異常などは遺伝的要素が強い。他方、緑内障や白内障は体質・環境から来る肉体的な要素が強い(だから緑内障や白内障のヒーリングには、目の構造と病理をよく理解した上で、関係するパーツや組織に直接働きかけることが必要だ)。
「見る」機能自体、単純に「目」だけの機能ではない。視神経を通して伝わる信号が脳によって解釈されて初めて、「見る」という感覚を経験できる。色の識別といったことさえ、基本的には成長期に学び、条件づけられていくものだということは以前のメルマガに書いた。
こんなふうに肉体・物質レベルで「見る」ことは、たくさんの要素が関わる複雑な現象だ。単純に第6チャクラの機能の良し悪しだけから決まるものではない。
それでも、第6チャクラにエネルギーを流して賦活したり、そこにたまりやすい慢性の緊張をほぐすだけで、多くの人は「ものがはっきり見える」「まわりが明るく見える」「色が鮮やかに見える」ことを経験する。この反応は即座だ。
それに対して、「近くのものは見にくいが、遠くはよく見える」という加齢による視力の変化は、むしろ「見る」機能の象徴的パターンとして理解するのがいい。大ざっぱに言えば、「老眼」は本来、「近くが見えない=身の回りのささいなことやどうでもよい不完全さは目に入らない」「遠くがはっきり見える=世の中を大きな視点で俯瞰できる、先のことを見通せる」ようになる人生の段階と対応している。
人生経験を通して人格の角(かど)がとれ、懐(ふところ)の深さを身につけた所で、諸々のことをおおらかに受け入れ(あるいは気にするのを止め)、人生の中で本当に重要なこと、大切なこと、未来の世代のために関わることを視野の中心に据えられることが、この段階の理想である。こういうふうに成熟するなら、それは「老眼」ではなく「成熟眼」で、その意味において望ましいことなのだ。
しかし、角もとれず懐の深さも加わらず、自己を中心に固定された視点、態度、考え方だけが目立つ場合は、それは衰えと言われても仕方ない。「視点が固定される」というのが、文字通り肉体の視力面と、象徴的に「物事の見方」という両方の意味であることがわかるだろうか。第6チャクラの「見る」機能には、つねにこの二重の意味が込められている。
「遠くを見通し、光のありかを知り、子供たち、さらにその子供たちのことまでを考えて、何をしなければならないかを語れる智恵」が、混迷の時期である今、切に必要とされている。
(続く)
『エネルギーの海 スピリット通信』(vol. 35)
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