すでにTwitterで書いているが、2022年10月3日、バーバラ・アン・ブレナン博士が亡くなった。83歳、長い療養の後だった。
彼女の功績については多分、改めて書くまでもない。NASAの気象物理学者からヒーラーに転じ、世界的な大ベストセラーになった著書『光の手』で、1980年代から90年代のヒーリング・ブームを一手に巻き起こした。
私自身は、1991年のはじめにワシントンDCの入門ワークショップで彼女に出会い、その年に、当時ニューヨークにあったヒーリングスクール(BBSH)に入学した。ワークショップにはかなり懐疑的な気持ちで参加したのだが、4日の間、その懐疑心を吹っ飛ばすような経験を続いた。
最終日のメディテーションでは、彼女がトランス状態に入って会場を歩き回り、次々と参加者にヒーリングをして回っていた。私の前に来た時、彼女(あるいはトランス状態になっている彼女の体を動かしていた誰か)は足を止め、私のことを親しく知っているかのように話しかけた。
その話の内容を、その時にはまともに受けとらなかったのだが、結果として、彼女との出会いは私の人生を今ある方向に向けた。
教師としての彼女から学びつつ、また彼女のもとで働きながら過ごした年月は、物質的な感覚の制限の中で生きることに慣れていた自分の世界を、ものすごい勢いで押し広げた。
同時に「権威」や「集団」との関係性についての多くのチャレンジがあり、「精神的(スピリチュアル)な力を、どう本当に建設的に、倫理的に使うか」ということについて向かい合う期間でもあった。
充実していたとも言えるし、今思えば毎日、圧力釜の中で生きていたような期間だった。
その中でも、彼女のそばで働き、一緒に旅行をして時間を過ごす機会にも恵まれ、表に向けられる「世界的に有名なヒーラー、精神的なリーダー」としての顔だけでなく、その個人的な顔も知ることができたのは、幸運だった。
まわりにいる人間の考えや感情を感じとる鋭敏な感覚をもった彼女が、有名になり、スクールが拡大し、何千人もの学生や卒業生、何百万人もの読者や賛嘆者を抱え、それに応え続けなければならないことのプレッシャーを間近で見ていた。
その経験は「自分はどのように仕事をしていきたいのか」について、突き詰めて考える機会を与えてくれた。その意味でも彼女の存在は、自分の仕事のあり方に今も影響を与えている。
そういった精神的に激しく濃い時間の中にも、単純に楽しく、懐かしい思い出もある。
初めての来日で一緒に箱根神社にお参りした時、当時、日本の宗教や文化についての知識のなかった彼女が、神社の境内の木々を見上げて訊ねた「あれは何? 小さな子供みたいで、飾りのついたおかしな着物を着て…くちばしがある」。
カラス天狗たちだった。
「ヒーリングは、1人1人の内にある、喜びに満ちた生命の創造的な力の流れから始まる。喜びを選べ、愛を選べ、自らの全体であることを選べ」 バーバラ・アン・ブレナン

『ヒーリングとアルケミー』(2022年10月の記事に加筆)。写真は初来日時、日立市での講演(1994年)
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