夢とヒーリング 古代ギリシャから続く癒しの伝統 シャーマンたちの歩く世界 失われた自己の一部をとり戻すための癒しの宮居

デルフィ(デルポイ)のアテナ神殿


 あらゆる古代文明には、夢を通して物質世界以外の領域にコンタクトし、そこでさまざまな存在からメッセージを受けとることができるという知識が存在していた。

 今でも世界各地のシャーマンたちはこの知識と技術をなんらかの形で温存しているし、オーストラリアのアボリジニやアメリカ大陸の先住部族(「ネイティブ・アメリカン」)、チベットの人々のように、文化全体としてそれを保っているところもある。

 日本においてももちろん、夢を通して神仏や人間以外の存在からお告げを得る習慣があったことは、神話や中世の文学などに詳しいし、「夢占(ゆめうら)」「夢想開き」などの言葉としても残されている。

 夢想開きとは「(1)神仏による夢のお告げを人に披露すること。また、その催し。(2)夢に神仏の示現があって句を感得した時、奉謝のため人に披露し、これを発句とし脇句から付句して作る連歌」(広辞苑)。

 また「夢違え(ゆめたがえ)」、「夢祭り」などのように、災いの予告と思われる夢を見た時にそれを免れるよう祈りやまじないをする習慣もあったほど、夢は現実世界とつながるものとして真剣に受けとられていた。

 夢の中のお告げは、実際に自己より大きな何らかの力ないし存在からのメッセージとして、敬意をもって受け止められた。

 しかし現代の日本において「夢のお告げ」を真剣に信じる人は、ユング派の心理学者や夢療法について専門に勉強した人などを除けば、少なくなっているだろう。

 たまに見る怖い夢を「何か悪いことでも起きるのでは」と心配することはあっても、夢の世界を深い象徴性に満ちた一つの現実として受け止めるという認識は、現代の日本人ではほとんどなくなっており、辞書の定義にもそれは示されている。

ゆめ【夢】
(イメ(寝目)の転)

1 睡眠中にもつ幻覚。ふつう目覚めた後に意識される。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。古今和歌集恋「思ひつつ寝ぬればや人の見えつらむ—と知りせばさめざらましを」。

2 はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。古今和歌集哀傷「寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ—にはありける」。

3 空想的な願望。心のまよい。迷夢。

4 将来実現したい願い。理想。(広辞苑)

 日本人を含む現代人では、夢とは単に寝ている間に見る幻のようなものか、または空想ないし将来の願望を意味するものとされてしまい、物質世界とは異なる別の世界そのもの、ないしそのような世界への通路という認識はなくなっている。

 フロイト派の精神分析では定義はもう少し視点を変えて、夢とは個人の内面、とくに潜在意識や抑圧された無意識が象徴的に反映される場であり、それは個人の内的世界の表現である。

 これに対しユング派の心理療法では、個人の枠を越えて、集団(家族、民族、人類レベル)の深層意識や神話の世界などが個人の夢に象徴として表れることもあると考える。

 単なる個人の内的世界や「現在」という時間の制約を越えた過去から未来を含む集合意識の世界へのアクセスの可能性を認めている分、その定義は広い。

 これに対し、アボリジニの言葉ではドリームタイムは「アルチェリンガ(古い石の時代)」と言い、これは「石がまだ生きていた時代」を意味する。

 このような「自然の中のすべてのものが生きて意識を持っている世界」は、世界各地のシャーマンや自然霊との交感能力を維持する人々にとっては、今も「普通の現実」と隣接して存在している。

 そこでは植物の精たちが歌い、踊り、岩や動物たちが語り、人間と対等の生き物として対話を交わし、世界はまさに「生きて」いる。また人間よりパワフルな存在であるパワーアニマル、カチーナ、神々などもいて、人間の生活に関わったり、恵みや災いを与えたりする。それは人の内的世界であると同時に、外的な現実でもある。

 あるいは内的世界を通って外的世界につながる道、と言おうか。

 古代においてはこのような「世界」は、「通常の現実」から乖離していなかった。物質世界も、我々が現在「目に見えない世界」あるいは「内的現実」と見なす世界も、同じ宇宙自然の一部として重なりあって存在していた。

 やがて人間が個人としての自己意識、自我機能、左脳的機能、自己について省みる能力、客観能力、分析能力などを発達させるにつれ、これらの世界は別々のものとして経験されるようになっていった。

 それは世界が二つに分かれたのではない。人間の内面が二つに分かれ、それによって世界が異なる領域に分けて経験されるようになったのである。

 この時点で、夢は「別の現実」への通り道となった。普段の生活の中で「別の世界」を経験する能力を失った人々は、自我と自己意識の支配のとぎれる睡眠中において、夢を別の世界につながる通り道としたのである。

 そうして現代の西洋文化および日本を含む西洋的「自我中心」文化の影響下にある国々では、夢の持つ別の現実への通り道としての機能さえも忘れ去られた。

 ユングは、自我ないし個人の意識を越えた領域への通路としての夢の機能を再発掘したのであるが、それを実際の自然界、外の世界とのつながりにおいてではなく、あくまで内的、心理的な世界のことと解釈する姿勢を、少なくとも公の立場では保っていた(晩年になって彼がこの姿勢を崩し始めた時、学術界からは激しい非難を受けた)。

 現代人は「夢」をもう一つの現実と見なすことに対して非常な恐れを抱いているようでもある。それは不幸なことであり、現代社会の病理とも深いところで関わっている。

 現在、アメリカの精神的なことに興味のある人々の間で「ドリームワーク」と呼ばれているのは、夢を自己成長のために使う方法論で、大きく2つの形がある。

 1つはユング派の影響から生まれたもので、習慣的に夢日記を付け、自分自身の精神や心理の深い部分、表層意識に見えない部分について洞察を得たり、魂の深い部分からのメッセージを受け取ろうとする取り組み。

 もう1つはインドやチベットの夢ヨガの流れを汲んで、夢の中で意識を目覚めさせ、夢を自由に操れるようになる覚醒夢(ルーシッド・ドリーミング)の状態を目指すもの。

デルフィ(デルポイ)のアテナ神殿


 これに対して、SHASが自然の中のリトリートで目指してきたのは、ユングにより再発掘されたアルケミーの伝統に連なる心理レベルと魂レベルのとり組みも組み入れながら、さらに古代ギリシャ、とくにアスクレピオスの宮で行われていたドリーム・インキュベーションにつらなる、より直接的にヒーリングに結びつくとり組みだ。

 インキュベーションとは抱卵、孵化させるという意味で、静かな空間の中で夢の卵を魂が抱いて孵化させるプロセスとたとえてもいい。あるいは魂自体がその卵であるとも言えるかもしれない。

 アスクレピオスは古代ギリシャ最高の癒し手、ヒーラーであり、そのあまりの腕ゆえに死んだ人間までも甦らせてしまい、ゼウス神の怒りを買って稲妻に撃たれて死んだという伝説が残っている。

 アスクレピオスは、それまでの薬草や水の力による癒しに加え、夢の解釈により言葉によって人の魂を癒す方法を生み出したことから、心理療法の祖とも呼ばれている。

 歴史に残っている限りでは紀元前6世紀から紀元3世紀まで、主宮のエピダウロスとそれに連なる宮で、彼が始めた夢によるヒーリングが行われていた。

 癒しを求めて訪れた人たちはまず身を清め、泉で体を洗い、薬草の抽出液を飲んだりマッサージを受けたりして体と心の準備を整え、それから聖所に入って眠る。夢の中でアスクレピオスやそのお使い(少年、蛇、犬、雄鳥)が現れて癒しを受けることもあれば、夢を通して象徴的なメッセージが与えられることもある。

 アスクレピオスの神官たちは夢を解釈し、言葉を通して魂の癒しにつなげる技術に長けていた。その宮での治療効果がどれほどのものであったかは、ギリシャのみならずヨーロッパの各所に分宮が作られ、少なくとも900年の間、絶えず人々が訪れ続けたことによって証される。

 3世紀にこの伝統が断たれたのは、排他的で攻撃的なキリスト教徒の弾圧によってだった。

 アスクレピオスの宮とそこで行われた癒しでは、夢は、自己の魂の神聖な部分、あるいは自己の内に内蔵されるもっとも高い知恵への通り道であり、同時に個人の自己を超えたより大きな力へのつながりを可能にするものとして、心と体の癒しに直接的、積極的な働きを持つ。

 そして同時にそれは、自然に囲まれた神聖な空間での静修、水療法、ハーブ治療、ボディワーク、ギリシャ悲劇の観劇といった芸術療法、音楽療法などの総合的な癒しの方法論の一部として、その力を発揮するようになっている。

 いわば、アスクレピオスの宮は、理想的な統合ヒーリング施設でもあった。他の多くの伝統では一部の参入者にのみ分かち合われ、もっぱら精神的な鍛錬の目的にのみ用いられてきた秘儀の知恵を、アスクレピオスは心身の病気治療の技術としてかみ砕き、人々に与えたのだ。

 ギリシャ語のアスクレピオスという名は「限りなく優しき者」という意味とされるが、その名にふさわしい、ヒーラーのアーキタイプの体現者だった。

 SHASの教育努力は、この癒しの宮居の伝統を復活させることを目指している。統合ヒーリング科の学生たちによるヒーリング・クリニックも、自然の中での合宿静修(リトリート)も、そのような宮居の構成要素になる。

 それは必ずしも古代の宮のように一定の場所に建てられるものではない。

 むしろ秘教を学ぶ古(いにしえ)のグループがその時々の条件や必要性によって、さまざまな自然環境の中の異なる場所を選んで集ったように、その時々によって様々な場所に築かれ、そしてそれを経験した人の魂の内に内蔵されて運ばれるものになる。

 このような神聖な空間を経験した者が再度、複数集まれば、そこに宮居が築かれる。

 一人のヒーラーが癒すのではない。複数の癒しの紡ぎ手、治療者、支え手によって形成される、時間をまたがり存在する癒しの器こそが、可能な限り多くのレベルで人々が癒えるを支える。

 そしてそれはまた自然によって支えられなければならない。人間が単独で治すのではない。自然によって与えられた肉体を、自然の助けを借りて本来あるべき状態に戻すのだ。

 母なる自然と父なるスピリットの結婚によって生まれた魂を、母なる自然の恵みによって潤す。スピリットは導き、自然は育む。

 これはすべての人間存在のよって立つ土台でもあり、したがってSHASにおけるエネルギーやハンズオン・ヒーリング、フラワーメディスンを含むヒーリングの方法論の土台でもある。

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