水はエネルギーの媒体。風呂は入る人の感情エネルギーを吸収してためるので、風呂の水の共有は感情の共有

 講座などで話をして、必ず参加者の間からどよめきの起きるトピックがある(笑)。

 それは、水は感情の媒体であり、感情エネルギーの浄化に役立つが、同時に感情やその他のオーラフィールドのエネルギーを吸収もするということ。

 自然の中を流れる水では、これはそれほど問題にならない。流れていくうちに太陽光や自然の要素にさらされて、ネガティブなエネルギーも分解されていくからだ。 

 だが、風呂などになるとそうはいかない。

 風呂の水には、入った人の「気分」(エネルギーの状態)や感情エネルギーなどが吸収されて残る。それが強いものなら、次に入る人はもちろんその影響を共有する。

 家族が一通り入り終わった後の風呂の水には、その家の全員の感情の質や状態、パターンが刻み込まれている。

 だから日本のように家族で風呂の水を共有するというのは、家族内の感情のパターンや質を共有し合うという隠れた意味がある。
 
 若い女の子が「お父さんの入った後のお風呂には入りたくない」とか言い出すのも、そういう共有を無意識に嫌っていると理解することもできる。

 とくに思春期は、家族から精神的に独立し、自分個人のスペースと感情生活を築く時期に当たる。風呂の水の共有を通して与えられる家族の感情の影響から、本能的に自分を守ろうとしているわけだ。

 個人主義の西欧では当然のごとく、風呂の水は1人ごとに流して入れ替える。風呂には入らずシャワーだけで済ませる人も多い。

 家族と感情を共有すること自体が悪いと言っているわけではない。

 ただ、背景で何が起きているか気づいていないと、つねに家族の無意識の感情パターンによって支配されることになる。それは例えば、家族全体のニーズを自分のニーズよりも優先するような無意識の行動として現われる。

 しっかりと自己の中心点を確立した上で、意識的に家族との絆を経験したり強めたりするために、風呂などを通して感情エネルギーを共有するのは悪いことではない。

 ちなみに温泉などはどうかと思う人もいるだろう。

 温泉では、源泉をどんどん掛け流している場合には浄化の作用が強く、お湯を溜めて循環している場合には、つかった人のエネルギーが溜まる。溜まるエネルギーは、そこにつかるたくさんの人たちの気分(エネルギーの状態)の総和だ。

 さいわい温泉旅行はだいたい旅館泊で、普段の感情生活のごたごたは家に置いてきているし、普段食べられないようなご飯を食べて、お湯につかってリラックスしてハッピーな気分な人が多いので、そのよい気分をお湯を通してシェアすることができる。

『エネルギーの海 スピリット通信』(vol. 15)


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